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Dogon ドゴン (1989年世界遺産登録/自然遺産・文化遺産)

マリ共和国ドゴン写真1マリ共和国の中央部モプティの東、車でおおよそ2時間ほどのところに高さ300m、長さ200km以上にわたって続くバンディアガラの断崖があります。断崖沿いには約700の村が点在し、約25万人が住み、多様な文化、言語、民族が存在しています。

 

 

Google Earthで見るDogon (映像-左右、上下真ん中辺り)

マリ共和国ドゴンの畑写真都会から隔たれた村の殆どには電気も水道もなく、携帯電話も通じません。水は少なく、耕土に適する土地も少ないドゴンでは乾燥に強いミレット(トウジンビエ、粟など雑穀)や玉ねぎが作られ、特に玉ねぎは換金作物としてバマコなどに送られます。

ドゴンの人々は神話を今に生きる人々です。イスラム教やキリスト教に改宗する人々が増え、外国人ツーリストの与える影響も大きいでしょう。しかし彼らの精神世界は神話にあり、例え改宗しても神話は心と生活の中で生き続け伝統は守られています。

マリ共和国ドゴン写真2崖の東側はところどころ潅木が点在する乾燥した大地が広がっています。崖から少し離れた所にサハラの風が運ぶ砂でできた小高い丘陵が出現しました。1913年の大旱魃では多くの人が亡くなり、砂漠化は今なお進行、ますます厳しい環境になっています。

しかし、日本から見ればこの「辺境の地」とも言えるドゴンにおいて、彼らのつつましく生き生きした生活は続き、子供達の笑い声が、ドンキーの声が今日も崖に響き渡っています。ドゴン人の性格を表す言葉として「勤勉」「忍耐強さ」「正直」などがあげられると思いますが、私はドゴンの人々の幸せが永遠に続くことを願ってやみません。

ドゴンの創世神話(概要)

全知全能の神「アンマ」は泥を投げて太陽・月・星を作った。次に粘土を投げて頭を北にむけて横たわる人間の形をした大地を作った。「アンマ」は大地と交わり男の子「ユルグ」と双子の精霊「ノンモ」が誕生する。 「アンマ」は男女一組の人間をつくり、この二人から8人の男女が生まれ、ドゴン始祖となる。
参照) DOGON西アフリカ・クラブ

村・家の成り立ち

マリ共和国ドゴンのトグナ写真村は「アンマ」に創られた大地と同じように頭を北に向けた形で作られており、最初に頭に当たるトグナ(集会所)と月経小屋が作られました。トグナは基本的に木、石など8本の柱で支えられ、ミレットで屋根が葺かれています。女性が近寄る事は許されません。

家もまた台所が頭、寝室が腹、足の部分が玄関となり、4本の柱は合体した男女4組を現します。玄関やドアにはドゴンの始祖8名や神々などが象徴的に彫刻されています。

オゴン

マリ共和国ドゴンのオゴンとオゴンの家オゴンは村の最長老が選ばれます。オゴンは宗教上の最高聖職者であり最も神に近い存在です。彼は妻や子供も含め、すべての人との接触(触れ合うこと)が禁じられ、多くのタブーを守らなくてはいけません。そして、毎夜、神は蛇に姿を変え、舌で彼の体を清めます。オゴンが亡くなったとき、トグナの屋根が葺き替えられます。

 

ドゴンの仮面祭り(ドゴンダンス)

マリ共和国ドゴンのユガ村写真ドゴンの仮面祭りには60年に一度のシギの祭り(2027年)と葬送の儀式ダマがあります。シギの祭りは最初にドゴンダンスが始まったYouga村をスタートし、各村をすべて回って7年かけて行われます。

 

 

 

その昔、ドゴンには死は存在しなかった。年老いた人は蛇に姿を変え、更に精霊ノンモとなった。ある一人の老人が蛇になった時、タブーとされる人間の言葉を発し、彼は蛇の姿で死んでしまう。それが、ドゴンに訪れた最初の死である。

シギは蛇の姿で死んでしまった先祖への儀式であり、世代の更新を象徴します。この時ドゴン最大級の蛇の仮面(イミナナ)が新たに作られます。

マリ共和国ドゴンの死者を送る儀式葬送の儀ダマはシギの時に踊った男性などイニシエーションを行った男性を弔い、死者の魂を体から引き離しドゴンの人々を守る先祖となるべく葬儀の最後に仮面ダンスが行われます。ダマ・セレモニーは死者の財力や地位によって個人のためのダマと、亡くなったすべての人々のためのダマがあり、3年から5年毎、時には10年12年後に行われます。

 

あるとき、一人の女が「悪霊」と出合った。しかし人々は悪霊を目にする事ができず、悪霊を「イメージ」するためにずるがしこい動物や病気をなどを仮面にした。

マリ共和国ドゴンダンス写真ドゴンの仮面・ダンスは、神話に基づいて作られたカナガ、Sateimbeサティンベ、シリゲなどの他、動物、病人を模したものなど78種あります。

サティンベは儀式に登場する唯一の女性の木像であり、ドゴンに仮面をもたらした女性です。カナガのマスクは猛禽類の顔を持ち頭上は天と地が結ばれ生命の誕生を意味します。カナガはドゴンの宇宙観を現すように大きく円を描きながら大地に叩き付けられ、地球が丸い事、自転していることを現しています。シリゲと呼ばれる家族(拡大家族)の家を表すマスクは、長さ4mほどあり、これを口で咥えて前後左右、円を描くように動かします。

ドゴン族とボゾ族の兄弟関係(冗談関係)

その昔、ドゴンで飢饉が起こり食べる物が底をついてしまった。やせ衰えたドゴンはボゾに食べ物を請う。ボゾは「判った。待て」と言い奥に消えると、肉を手にして戻って来た。ドゴンは喜び感謝して持ち帰り、餓死から逃れることができた。

元気になったドゴンはボゾに尋ねた。「君だって食料があったとは思えない。どこで手に入れたんだ?」しかし、ボゾはそれには答えず笑っていた。ドゴンはその時ボゾが足を引きずっている事に気づく。ああ、そうだったんだ。彼はボクのために自分の太ももの肉を切り分けてくれたんだ。

ドゴンは深い感謝の意を表しボゾに言った。「ボゾよ、ありがとう。君のおかげで僕達は救われた。君の肉を食べた我々は兄弟だ。だから、もうドゴンの誰もがボゾと結婚することはできない」

それ以来、ドゴン族とボゾ族は兄弟関係となり、互いに無条件で助け合う仲であり、どんな冗談を言っても許される。そして今も婚姻は許されない。

Dogon ドゴン (1989年世界遺産登録/自然遺産・文化遺産)

マリ共和国ドゴン写真3ドゴン族がバンディアガラに来る以前、残された遺物から2つの異なる民族がこの地に住んでいた事が判明しています。

その一つピグミー(Toloy トロイ?*)の住居は紀元前2〜3世紀まで遡ることができます。彼らは雨を避ける事のできる断崖の洞窟に泥で住居を作り、森に覆われたこの地で狩猟採集生活を送っていました。

11世紀、ニジェール方面から同じ狩猟採集民族Tellem テレム族が移住してきます。テレムもまたこの天然の屋根に泥で住居を構えます。

「テレムはどうしてあんな高い所に上れたんだろう?」

「テレムには空を飛ぶ能力があったのさ。」

14世紀。バマコの南45kmほどの所から、マンディング系のドゴン族がイスラム化を嫌いニジェール川沿いに移動、バンディアガラに移り住みます。おおよそ200年間テレムとドゴンは生活圏を共にしますが、言い伝えではテレムは今のブルキナ方面へと移動してたそうです。中にはテレムと婚姻関係を結んだと言う人もいますが定かではありません。農耕民族のドゴン人達は村を作り14世紀から16世紀にその生活を確立しました。今もトグナや残されている家・倉庫にも当時のものが使用されています。60年に一度行われるシギの祭りも14世紀から続いているのです。

(国立博物館に断崖から採集されたテレム族の衣類や壺、ガラス玉など遺物が展示されています)

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